2019年02月25日

塾長コラム


2月も下旬となりました。大学入試、高校入試とも残すは後期入試や一般入試のみとなりました。

 

今年の大学入試は別稿でも書かせて頂いておりますが、異次元の厳しさになっていると痛感しております。

 

国が定める地方の大学への入学志願者を増加させるという名目で、大都市圏の私立大学の入学定員厳格化が行われ、今年は罰則規定はとりあえずなくなったものの、厳格化傾向(大規模大学は定員の1.1倍までしか入学させることができない)により、合格最低点が前年から100点も上がった学部が出てきたり、センター方式のボーダーが93%という学部があったりするなど、医学部受験かと錯覚するほどのパーセンテージで驚きを隠せない状況です。

 

前年の大学入試も厳しく、浪人生が多数出た高校も多かったのですが、その影響もあり、今年は、関関同立はその浪人生の上位層が軒並み合格を掻っ攫っていったのではないかと思うほど、現役生には超アゲインストの風が吹いておりました。

 

その影響で、安全志向な入試傾向も続き、滑り止めの併願が産近甲龍だけでなく、摂神追桃大経大などにも流入し、そこが更に激戦となったように思われます。

 

7000名も受験者が増えているにも関わらず、2000名ほど前年より合格者数を減らす大学もあり、通常であれば合格していたであろう3割程度の生徒が不合格の憂き目にあうという状況です。しかも、8割5分取っても届かないという私立大学もあり、いくら中央値補正や偏差値方式で点数調整があるとしても、生徒本人の手応えで85%程度取れていて不合格になるという感覚は中々ないだろうと心が痛みます。

 

もちろん、都市圏、関西圏の私立大学入試が厳しくなることは予想されていたことであり、われわれも厳しさを認識していたとはいえ、異次元の厳しさになったと感じています。

 

次年度以降も浪人生の増加により、現役生は相当厳しい戦いが予想されるため、新高3、新高2、新高1生には早い段階からの意識向上を何としてもしてもらうように取り組みを強化しないといけないと心に誓ったところです。

 

そんな大学入試の厳しさもありつつ、2020年度の教育改革も本格化してきています。

 

中学受験の問題でも、記述式の問題(ここでいう記述式とは、国語の抜出し問題という意味合いではなく、資料やデータ、前提条件を掲げた上で、それについて、意見を述べるという意味合いの記述式です)が出題される所も多くなり、業界では話題になっております。

 

同様に高校入試においても、同様の傾向も出ており、兵庫県の公立高校入試問題も変革があるのではないかと想定した上で、受験生たちには狼狽しないようにという指導を行っております。

 

そういった中で、われわれがここ10年で進めてきた「教え過ぎない指導」をさらに進めていき、自分で考える習慣、能動的に学ぶ力、自分で意見を主張できる子どもを育てていければと思います。

 

今までの公教育もそうでしたが、「教師はteachをして、後は生徒が復習する」という価値観からの脱却が必要だと考えています。

 

解法を教える、それを覚えるといった価値観ではなく、「自分はどう考え、どう主張するのか」という価値観に変革させたいという文科省の考え方があるのではと考えております。

 

英語でも、I think~ , because

 

という考え方を必ずしなさいとよく言われますが、まさにその通りで、「こうだと思う。なぜならば」という今までの価値観を壊すような子どもが出てくる必要があると思います。

 

AIが今の職業を取って代わってしまうという話もよくされています。確かにその通りだと思います。5年後か10年後、20年後かわかりませんが、大きく変革はされるでしょう。その時に、時代に取り残されてしまうか、時代の乗って行けるのか、また時代を超えて次の価値観を創出できるのか、今の子どもたちにはそういった力が否が応でも必要とされるわけです。

 

ただ、AIが進化してという悲観的な考え方ではなく、それを使った新しい価値観はなんなのかというプラスのイメージを持っていく必要もあると思います。

 

我々の世代でも、ワープロ、携帯電話(ガラケー)、パソコン、スマホなどと20年、30年前にはなかったものをその時々で採り入れ、更に使いこなしてきているわけですから、これからもそういった前向きな考え方ができる子どもを育てたいといつも考えております。

 

学校もアクティブラーニングという生徒の自主性を主とした授業に変革しようとしています。

 

我々も、一方的な授業は極力少なくして、「自ら学ぶ力」をいかにつけていくことができるかを絶えず模索していきたいと思います。

 

「教えられているだけ」の間はある面、生徒も楽かもしれません。考えることをあまりせずに聞いていればいいわけですから。また講師側も「教えている」という満足感が出ることも否定はしません。教えることは気持ちいいですから。

 

「子どもの考える力を奪わないために」どうしてばいいのかという色々なアプローチを試行錯誤しながら、子どもたちがいかに自ら考え、自ら主体的に意見を伝えることができるようになるかに真剣に向き合っていきたいと考えています。

 

おおごとになってはいけませんが、少々失敗してもいいと思います。周囲の大人が失敗させることを恐れて転ばぬ先の杖で支えてしまうと失敗の怖さをしらなくなってしまいます。失敗は成功の糧と言いますが、いかに失敗から学び、それを糧に次の課題にチャレンジしていく子供を保護者の方と一緒に育んでいきたいと考えております。微力ながら、努力を継続して参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。