2017年10月26日

塾長コラム


すっかり肌寒くなりました今日この頃、ちょうどこのコラムを書かせて頂いているのは、台風が過ぎ去った翌月曜日。先週末には台風でどうなることかと心配いたしました第2回高校入試説明会も実施することができ、安堵をしております。

 

さて、2020年の大学入試改革に伴う教育改革について、説明会でも少しお話をさせて頂きました。

 

我々大人が考えている以上のスピードで現代社会が変わっていっており、この10~20年でAI(人口知能)に49%の職業がとって代わられてしまうというお話やグローバル化やIT化で知識を覚えることだけに留まらず、それをどう活用していくのかという観点、また主体性・多様性・協働性の教育改革の方向性をお話をさせて頂きました。

 

限られた時間でしたので、不十分で少し消化不良のこともあったかと思いますが、「大きく変わる」んだという大きな枠組みはご理解頂けたのではないかと考えております。

 

小職も16年間、色々な生徒の皆さんから学ばせてもらって参りました。何百人という生徒の皆さんやその保護者の方をあわせて何千人の皆様ともお話をし、お子様の学習意欲向上、学力向上に向け努力をして参りましたが、最近少し感じることを徒然に書いてみたいと思います。

 

お子様の発達段階を何パターンかに分類するという学問は色々とありますが、小職が接してきた生徒さんの特長なども踏まえ、年代別に区分してみたいと思います。

 

 ① 幼少~小4

 ② 小5~中2

 ③ 中3~高1

 ④ 高2~高3

 

の4つの分類で考えてみたいと思います。

 

もちろん、高校卒業後の大学生においても2区分あるのかなと感じておりますが、私塾の対象としては高校生までですので、4つで考えたいと思います。

 

まず①の幼少~小4の時代ですが、「三つ子の魂百まで」と先人たちはよく申したもので、この時代の習慣や考え方は、その後の人生に大きく影響しているように感じます。

 

例えば、厳しく育てられているのか、甘やかされているのか、子供の意思を尊重しつつリーディングをされているのか、親の価値観を優先して押し付けてしまっていないかなどという観点です。

 

この時期に「考えること」・「自ら発見すること」を中心に子育てがされていると、考える習慣がついていたり、自ら色々なことを発見できる素養が養成されるように感じます。

 

特に心理学でよく用いられる「閉じた質問」、「開いた質問」ですが、「閉じた質問」ばかりをされて育ってしまうと、レールはすべて他人(親)が引いてくれるものといった考えに至ってしまいがちです。

 

できる限り、日常から「開いた質問」で意思疎通を図っていく必要があると感じます。

 

②の小5から中2ですが、これは男子、女子で大きく異なってくる時期です。特に男子は自我が芽生え、自分を優位に立たせようと反抗したり、無言の抵抗をしたりする時期です。今まで「お母さん(お父さん)、ママ(パパ)」と慕っていたのに急に無口になったりします。

 

この時期の男子には適度の距離感が必要で、関わり過ぎても良くありませんし、関わらなさ過ぎてもよくありません。特にその傾向が顕著に出るお子さんとほとんど出ないお子さんなども居られるので、ご兄弟で上の子は楽だったけど、下は大変などという場合もあります。

 

この時期の関わり方を失敗してしまうと、次の③~④の時期に中々うまくいかないケースをよく見て参りました。

 

続いて③の時期ですが、受験がある場合、ない場合などにも拠りますし、もちろん男子、女子で変わりますが、概ね、ぐっと大人になっていく時期です。(女子はもっと早い場合もありますが)

 

男子はクールにするのがかっこいいなどと考えがちなのもこの時期です。

 

中3で受験がある場合は、男女問わず、プレッシャーや不安を感じているものですから、特にその辺のことで保護者と衝突することも多い時期です。

 

高1が大学入試の実は本丸ではないかと思うくらい、この時期の過ごし方は大切です。受験が終わって羽を伸ばし過ぎて、勉学に向かわず、部活や楽しいことだけに目を向けがちな時期です。バランスがうまく取れる子供であれば問題ないのですが、極端に走り過ぎると本当に苦労してしまう可能性があるのが高1の時期です。

 

この高1をどう過ごせるのかが次のステップへの大きな課題になりますので、保護者の方には特に意識をお願いできればと思います。

 

最後に④の高2、高3ですが、順調な生徒は高2の段階で、大学入試や次の進路を具体的に決め、それに向けて着実に取り組んでいるのが高2の時期です。ただ、中には現在と近い将来に目を背け、わざと考えないようにしてしまっている子供も見られます。

 

そうなりますと、高3になって、周囲が動き出したのを間近に見てからのスタートになるので、物理的な時間で言うとかなりビハインドを負ってしまうことになります。

 

とかく、「ポテンシャル(潜在能力がない(ある)」や「地頭が悪い(いい)」などといった表現を使う場合がありますが、本当にそうでしょうか。

 

つい先日もセミナーでそういった講演をお聞きし、感銘を受けたことですが、「地頭やポテンシャルも確かに多少の一因ではあるかもしれないが、その多くは『努力』である」ということを痛感させられたお話でした。

 

紙面も尽きてしまいましたので、この続きはどこかで詳しくお話できればと思います。その「努力」ができる子供たちを育てていきたいと微力ながら頑張って参ります。